東南アジアのなかでは一番日本から近いフィリピン。
でも、宗教がキリスト教だったり、英語が公用語だったり、文化に関しては日本とは一番遠く離れた国かもしれません。実際に住んでいる人の感覚や考え方も、他の東南アジアの国の人々とは大きく違うと感じることがよくあります。
フィリピンの旅行先としての一般的なイメージとしては、セブ島のような美しいビーチのリゾート地を想像される人が多いのではないでしょうが、今回は美しいリゾート地のお話ではなく、パラワン島にある小さな港町に訪れたときのお話になります。
神が住む街「プエルトプリンセサ」
パラワン島は、首都マニラがあるルソン島の南西にある細長い島です。パラワン島はセブ島に比べるとまだまだ有名な場所ではないですが、世界一美しいなビーチ「エルニド」がある島として知っている人もいるかもしれないですね。
パラワン島の州都はプエルトプリンセサ。
プエルトプリンセサはパラワン島のちょうどの真ん中あたりにあります。
フィリピンと聞くと治安が悪いというイメージがありますが、プエルトプリンセサはここがフィリピンかと思うほど治安が良いです。もちろん、油断は禁物ですが、私が旅をした東南アジアの色々な町と比べてもトップクラスに治安が良いのではないでしょうか。
海外では夜はあまり出歩かないほうが良い場所も少なくありませんが、プエルトプリンセサでは夜遅くでも子供たちが外で遊ぶ姿が見らます。そのため、英語留学でプエルトプリンセサを選ぶ人も増えてきています。若い人にはセブ島が人気ですが、プエルトプリンセサは親子留学で人気の場所となってきています。
治安の良いプエルトプリンセサを住民も誇りに思っており、「おいおい、マニラなんかと一緒にするなよ。」という言葉をよく聞きます。
またフィリピンと言えば、毎年台風の被害で洪水や多数の犠牲者を出しますが、パラワン島、特にプエルトプリンセサに限ってはほとんど台風がきません。
地元の人曰く、「プエルトプリンセサは神が住む街だからな!神様が守ってくれているんだよ。」ということです。
プエルトプリンセサからマンギンギスタへ
パラワン島といえば、世界一美しいビーチ「エルニド」や世界遺産の「プエルト・プリンセサ地下川国立公園」が有名です。
でも、例によってローカルスポット好きの私は地図を見てローカルスポットを探していました。
そこで見つけたのが、マンギンギスダという港町。ネットで情報を調べてもまるで出てきません。これはワクワクします。
地図を見ると、教会やら小学校やらがあり集落になっているようです。集落のはずれにはPuting Buhangin Beachというビーチもあるようです。
場所はプエルトプリンセサの目と鼻の先ですが、バイクで行くと海をぐるっと迂回しなければなりません。今回は、船という交通手段もあるということで、プエルトプリンセサのベイウォークから船に乗ることにしました。
ベイウォークからは観光地として有名なホンダベイなどにいく観光船がたくさん停泊していますが、マンギンギスダに行く船は地元の人が利用する定期船のみです。
何時に船があるのか分からなかったので、とりあえずベイウォークに行くことに。
今回は、友達も誘って3人で行くことになりました。
船の船長に出発時刻を尋ねてみると、ありがたいことに一時間後に出る船があるということ。30分ほどぶらぶらと時間を潰し、船に乗り込みます。船にはプエルトプリンセサでお買い物をして帰る地元の人でいっぱいになります。来るときはバイクで来たけど、帰りはめんどくさくなって船で帰ろうと思ったのか、バイクを船に積んでいる人も居ます。
定期船らしく、船は急ぐことなくのんびりと進みます。
40分ほどの船旅でマンギンギスタに到着。到着時は港で泳いでいた子供たちが船の周りに魚のように集まってきます。
港に泊っている漁船の上では、漁師さん達が漁に出るための準備をしています。
地元の子供たちも、発泡スチロールで作った自作のサーフボードで遊んだり、魚を捕まえたり、田舎の港らしいのんびりした空気が流れています。
港を出て、しばらく歩くとの路上に突然バスケットボールのゴールが突然現れます。
国によって人気のスポーツは違いますが、フィリピンではバスケットボールがダントツの一番人気。休みの日や仕事終わりにはバスケットボールをやる人も多いです。私服でバスケットボールのユニフォームを着ている人も良く見かけます。
他のフィリピンの地域と同じく、マンギンギスタには教会がいくつもあります。
教会というと、美しく荘厳な創りの建物をイメージしがちですがマンギンギスタの教会の中には、注意してみないと素通りしていまいそうな質素な教会もあります。
教会では町の人たちがおしゃべりをしたり、子供たちが遊んでいたり、神聖な場所というよりも人々の憩いの共有スペースという感じです。
フィリピン人の多くはキリスト教徒。そのキリスト教徒のほとんどが熱心なカトリック系です。そのため中絶はおろか、離婚もできません。離婚が禁止というより、離婚という制度そのものがないのです。現在、離婚がない国は世界でフィリピンだけです。そのため、仲が悪くなれば別居という形になります。夫や妻と別居をして、新しい恋人ができても結婚はできません。新しい恋人とは同居という形になります。
ただどうしても別れたい場合は、アナルメント(婚姻関係無効)という制度を利用することが可能です。あくまで離婚ということではなく、結婚は無効だったよということになります。だからバツイチというものはフィリピンでは存在しないんですね。
しかし、このアナルメントという制度を利用している人はかなり少ないです。というのも、アナルメント制度を利用するためには、裁判の弁護士費用30万円以上、判決までの期間は5年以上という代償を払わなければいけないからです。平均月給5万円以下(3万円以下の人も多数)のフィリピンではそんな大金を払える人は多くありません。
そういった事情もあり、フィリピンではどの子が誰の子から分からないという複雑な家族構成をみることも少なくありません。
私たちは離婚は幸せなものではないと感じてしまいすが、離婚ができるという選択の自由があるということは幸せなのかもしれませんね。
舗装をされていない道を歩いて行くと、たくさんの町の人に出会います。
彼らは、私が見ず知らずの外国人であるにもかかわらず、目が合うとにっこりと微笑み話しかけてきてくれます。
パラワン島の人は本当に素朴で良い人が多いのですが、ここマンギンギスタの人たちも純粋で素敵な人たちがとても多い印象です。必要以上に欲がないというか、何かこちらも優しい気持ちになれます。
フィリピンに限らず、他の国でも田舎の人というのはそういった人たちが多いんですよね。
なんでだろう?
私たちの周りには必要以上の物が溢れていて、それを手に入れるためや守るために欲深くなったり。物だけではなく、自分には本来関係ないような情報も溢れている。そういった情報に不安になったり、幻想を見たり。
マンギンギスタに住む人たちが純粋で素朴なのは、そういった物や情報が非常に少ないからかもしれません。
発展途上国がどんどん発展して、経済的に豊かになるのは素晴らしいことなのですが、それと同時にそこに住む人々の純粋で素朴な心が失われるような気がして私は勝手に寂しくなる時があります。
町をひと通り周ったので、地図でビーチになっている場所に向かうことに。
歩いて行くにはそこそこ距離があったのと、帰りの船の時間もあったので流しのトライシクルを捕まえることに。
トライシクルとは、バイクにサイドカーを付けたフィリピンではポピュラーな乗り物。トライシクルのトライは「3]の意味で、トライシクルは三輪車の意味です。
タイのトゥクトゥク(トライシクルによく似た乗り物)などは料金が高いため、観光客が思い出作りに乗ることが多いが、フィリピンのトライシクルは料金も安く、地元民の大切な足になっています。
プエルトプリセサのトライシクルであれば2キロ圏内ならば一人10ペソ(約20円)という安さ。
トライシクルは、3人から4人乗ることができ、行先が同じであれば相乗りをすることも少なくありません。
日本のタクシー会社のようにトライシクル会社があるわけではなく、各ドライバーは自分でバイクを買い、それをトライシクルに改造して商売をする自営業。そのため、ドライバーにとって自分のトライシクルは愛車であり、必ず各トライシクルに名前があり、その名前を愛車にペイントしているドライバーも多いです。
私の知り合いは、大の日本好きで娘の名前が光(ひかる)。トライシクルドライバーの彼女の旦那さんの愛車には、「HIKARI」というペイントがあります。
私たちを乗せたトライシクルは比較的きれいなアスファルト道を走り、しばらくして舗装されていない道に入りビーチを目指します。ところが、ビーチまであと約2キロというところでドライバーが突然トライシクルをストップ。
「ここからは道が悪いから歩いて行ってくれ!」
確かに道は悪そうだが・・・、「もう少し先まで行ってよ」と頼んでも、ドライバーは頑なに拒否。トライシクルを拾うときに少し値切ったので、お金を上乗せしてほしいのかなと思い、追加料金を提示するも「無理。歩いて行って。」と。
どうにもなりそうにないので、仕方なくビーチまで歩いて行くことに。
トライシクルを降り歩き始めてすぐに、ドライバーが拒否した理由が分かりました。ガタガタで水たまりだらけ悪い道は海外の田舎では良くありますが、ここの道は土がすごい!
土というか粘土ですね。お餅のような粘着力があり靴にどんどん靴に張り付いてきます。片方の靴が大体2㎏になったのではないでしょうか。思わぬところで筋トレするはめになります。
そこらへんにある棒切れに靴の泥を擦り付けて落とす、また泥が張り付く、何度もこれを繰り返しながらようやくビーチに到着しました。
到着したビーチは、何か売店があるわけではなく、パラソルがあるわけではなく、ただ単に砂浜と海があり、そこで遊ぶ数人の子供たちと犬がいるだけ。
かえって何もないことが、最高の贅沢に思えます。
泥道の途中にある素敵な食堂
ビーチでしばらくリラックスをした後は、あの憂鬱な筋トレの泥道を歩いて帰らなければなりません。
お昼時間もだいぶ過ぎていたので、港の方に戻りご飯を食べようかと考えていた時に、泥道の途中で食堂らしき建物を発見。
お腹も大分すいていたので、ここで昼食をとることに。
食堂の中には、広い庭(庭というより野生の野原)があり、かわいい二人の子供が元気に遊んでいます。
他のお客は全くいなく、店主のおじいちゃんは椅子に座ってくつろいでいます。
メニューというものも無さそうなので、フィリピン料理で一般的なアドボ(豚の角煮のようなもの)とライスを注文。
念のため早めに港まで戻りたかったので、サッと食べて帰るつもりでした。
というのも、フィリピンではキャンティーンと呼ばれる食堂が一般的で、すでに出来上がって並んでいる料理を指差して皿に盛ってもらいます。注文をしてからすぐに食べれるのですね。
ところが私たちの予想とは裏腹に、おじいちゃんはおもむろに冷蔵庫から豚肉の塊を取り出します。
床にまな板をおき、大きなナタで骨ごとぶった切り。大きなナタを振り回しても、おじいちゃんが口にくわえたタバコの灰は絶妙のバランスで落ちません。
おじいちゃんはその後、ぶった切った豚肉を大きな鍋に入れ、手際よく調味料を入れていきます。
アドボと言えば煮込み料理。少なく見積もっても30分はかかります。
最終の船の時間を不安に思いながらも、まだ2時間はあるので大丈夫だろうと考え、料理を待ちます。
時間が経つにつれ船の時間が気になりだしますが、子供たちと遊びながら待つことに。
子供たちは私たちの周りにまとわりつき、遊んでほしくて仕方がないようです。おじいちゃんの話によると、この子たちのお父さんお母さんは出稼ぎで大きな町に行っていてなかなか会えないようです。そのかわりにおじいちゃんとおばあちゃんがここで面倒を見ています。
日本では考えにくいですが、フィリピンではお金を稼ぐために親子離れてというのは珍しいことではありません。同じフィリピンへの出稼ぎならばまだ良いですが、海外に出稼ぎに行って親子離れ離れになることもよくあります。特に日本へ行く場合、日本は家族を呼ぶのが他の国よりも厳しいので、何年も家族と離れて暮らすことになります。
日本でも、親子の時間のすれ違いとよく言われますが、一日に少ない時間でも触れ合える時間があるというのは幸せだなと感じます。
フィリピンの現状や経済状況は下記の記事からご覧いただけます。
トライシクルドライバー「ローリー」との出会い
待つこと40分、ようやく料理が出来上がりました。
フィリピン料理は基本的にかなり濃いめの味付けですが、おじいちゃんの作ったアドボは素材の味もしっかりと味わえる日本人好みの味です。
ゆっくりと味わいながら食べたいところですが、船の時間も迫ってきています。
私たちがいる食堂はまだ泥道の途中、トライシクルを捕まえるためにはアスファルト道まで歩いて行かなければなりません。
そんなことを考えていた時、食堂の入り口のところに一台のトライシクルが止まる音が聞こえました。あの泥道を走ってくるトライシクルがあることに驚きです。これはラッキーと思いすぐにドライバーのところに駆けつけ、ご飯が終わるまで待ってくれないかと頼むことに。
ドライバーは心よくOKをしてくれ、私たちが座っている隣のテーブルに腰を下ろし、レッドホース(度数の高いフィリピンの代表的なビールのひとつ)を飲み始めます。
「飲酒運転やん。」とツッコみたいところですが、ここはフィリピン。しかも田舎の港町マンギンギスタです。あまり固いことは無しにしましょう。
私たちも食事をしながら飲んでいたので、どうせだったらこっちに来て一緒に飲もうとドライバーを誘います。ドライバーは、待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべて、自分のビールとグラスを両手に持ちながら私たちのテーブルに。
彼の名前はローリー。白髪交じりの頭だが、年は32歳。
上半身は裸で、両腕にはロックススターのようなタトゥーを入れており、どこか久保田利伸を思わせるファンキーな顔立ちをしています。
ここマンギンギスタに住んでおり、ちょうど一杯ひっかけにこの食堂に立ち寄ったようです。
ローリーはフィリピン人には珍しく、英語があまり話せません。私の友達がタガログ語を使い通訳をしながら会話をします。とにかく、ローリーはよく笑う人で、こちらが何を言っても自分が何を言っても笑います。私が今まで見た笑顔の中で一番素敵というか曇りのない笑顔というか、ものすごいパワーを感じる笑顔です。
私たちのテーブルに座って1分もかからないうちに、まるで昔から友達のように接してくる人懐っこさ(馴れ馴れしさ?)。これぞフィリピン人!という感じです!
そんなローリーですが、昔からトライシクルドライバーをやっていたわけではなく、前は漁師さんだったようです。なんで漁師を辞めたのかを聞くと、
ローリー:
「とにかくあんなしんどい仕事はもういいよ。HAHAHA!」
私:
「やっぱり、漁師ってそんなにしんどいだね。」
ローリー:
「そりゃしんどいよ。牢屋にいるときは気持ちも不安になるしね。HAHAHA!」
私:
「牢屋・・・。(漁師と牢屋がどう関係あるんだ?」
よくよく聞くと、ローリーは漁師は漁師でももっぱら密漁専門の漁師をしていたようです。
パラワン島の最南端からマレーシアのボルネオ島の最北端は、非常に近い位置にあります。
かなり距離が近いことから、密入国やテロリストが海を渡ってくるルートになったりもしています。
ローリーはその最南端より船を出し、マレーシアの海域に入って密漁をしていたときにマレーシア当局に逮捕されてしまったようです。逮捕後はそのままマレーシアまで連行されしばらくの間牢獄。なんとか解放された後は、(足を洗って)トライシクルドライバーに転職したとのことです。牢獄中のことはあまり詳しく話してくれませんでしたが、かなり無茶な尋問やひどい環境にあったとローリーは話します。
そんなことを、とにかく笑顔で話すローリ―。牢獄中もその笑顔で乗り切ったのか、そういった苦難を乗り切ったから、こんな素敵な笑顔になったのか。
ご飯も食べ終え、ビールも無くなったので、さあ行こうかとローリーに声をかけます。
ローリーも席を立ちあがり、外に向かうと思いきや冷蔵庫の方に。冷蔵庫から新しいレッドホース1リットル瓶を取り出して、まだ大丈夫だよと。船の時間を告げても「任せておけって!俺は一流のトライシクルドライバーなんだから、俺を信じろよ!」と言い、最初に私の友達のグラス、次に私のグラスにビールを注ぎます。
そして最後に自分のグラスに注ぐと思いきや、ローリーはレッドホースの瓶をテーブルに置き、私たちの顔を見て嬉しそうに笑っています。
私:
「おいおい、ローリーは飲まないのか?」
ローリー:
「俺はお腹いっぱいだから、もういいよ。お前たちが飲めよ!HAHAHA.」
私と私の友達:
「(それなら、なんで注文したんだ・・・。)
結局、ローリーが計算する時間ぎりぎりまでこのやり取りを繰り返し、レッドホース3本飲んだところでようやく食堂を出発することになります。
食堂の入り口に置いてあったトライシクルのエンジンをローリーがキックで勢いよくかけると、泥が私たちの服や顔面に飛び散ります。
ローリーはそれを見て、「HAHAHA! SORRY!」
私たちを乗せたトライシクルはものすごい勢いで泥道を進んでいきます。凸凹を走るたびに体が上下左右に振られてトライシクルから振り落とされそうになります。
確かにある程度スピードを出さなければ、泥道に足を取られてしまいます。
しかし、食堂から約300mくらい走ったところで嫌な予感は的中します。
大きな水たまりを避けようと一瞬スピードを落とした瞬間、トライシクルの車輪が泥につかまりストップしてしまいます。
私と友達はトライシクルを降りて、ローリーのアクセルに合わせてトライシクルの後ろを押します。私たちの頑張りに関わらず、トライシクルのタイヤは泥の上でむなしく空回りし、何度目かのトライでついにトライシクルは道路の上で大きく回転してしまいます。
すでに、足を取られてから15分以上が経過しています。船の時間は刻々と近づいています。
私と友達:
「こりゃ、もう駄目だね・・・。」
「(任せておけっていったやん!お前を信じたのに・・・、ローリー。)」
ローリー:
「大丈夫だよ!もう一回、トライシクルを回転させよう!」
今ならまだ、アスファルト道まで歩いて出て、すぐに違うトライシクルを拾えばまだ間に合うかもしれない。悪いと思いながらも、私と友達はローリーにその旨を伝えて、ローリーと別れ歩いてくことにします。
しばらく泥道を歩き後ろを振り返ると、ローリーはまだ必死にトライシクルと格闘していました。
私たちも気になっていたので、何度か振り返りながら進みます。
どんどんローリーとトライシクルが小さくなっていきます。
だいぶ進んだところで、再度道を振り返ると・・・。
「ん?ローリーが大きくなっている?」
ローリーは泥道を満面の笑みで走りながら、こちらに向かってきます。
ついに私たちに追いつき、「あっちに行こう」と道端の木の方向を指さします。
ローリーについて木の方へ行くと、そこにはなんと別のトライシクルが!
どうやら、万が一トライシクルが泥道に捕まり動けなくなったときように、予備の共有トライシクルをここに隠してあったようです。
ローリーはこのことを知って、全て計算済みだったのです。
新しいトライシクルに乗り込み再出発。
今度は泥道にタイヤが捕まることなく、ようやくアスファルト道に出ます。ここまで来れば、普通に走ってもなんとか間に合いそうですが、ローリーは更にスピードを上げていきます。というか、こんなスピードのトライシクルには過去に乗ったことがありません。トライシクルというと、大体30キロくらいでのんびり走る乗り物です。所詮小型のバイクに屋根とサイドカーを付けたものなので、もともとスピードも出るもんじゃないと思っていました。ところが、ローリーのトライシクルはおそらく80キロくらいは出ていたのではないでしょうか?
確認しようにもローリーのトライシクルのスピードメーターは壊れており確かめることはできませんでしたが・・・。
ローリーは運転中も笑顔を浮かべながら、アクセル全開で時折こちらを向き何やら楽しそうに話しかけ、対向車にぶつかりそうになりながらアスファルト道を爆走し続けます。
最終の船の乗船時間まで20分を残して、トライシルクはアッという間に港に到着。
ローリーは「ほら、言っただろう。俺は一流のドライバーなんだ。余裕だよ。HAHAHA。」
その笑みには自信というか誇りのようなものが感じられました。
最初彼に会ったときは、ただの能天気なお気軽野郎なのかと思っていましたが、実際はプロ意識が強い男だったのだとのかもしれません。
飲酒運転や危険な運転は良くはないですが、「時間通りに目的地までに送る」という一番重要なことに関しては全てを計算していて、どんな手を使ってでも達成するという気迫にあふれていました。
ローリーに丁寧に礼をいい、握手をして次の再開の約束をして別れます。
私たちは、夕焼けの中さっそうとトライシクルドライバーで走るローリーを最後まで見届けました。
フィリピン人の底抜けの明るさと計算低さ
ローリーが去って、船が出発するまでしばらく港の景色を見ながら時間を過ごします。
夕暮れのマンギンギスタの港は、昼の港とはまた違った趣があります。
船の出発を待っている間、私の友達が言いました。
「ビール代が240ペソで、トライシクル代が150ペソ。なんのためにローリーは俺たちのことを乗せたんだろうね?」(※1ペソ=約2円)
食堂で飲んだ3本のビールは、すべてローリーが払ってくれました。そのあとのトライシクルの料金は港まで150ペソ。差し引き90ペソの赤字です。しかも3本のビールのうち2本は、私たちのために注文してローリーは飲んでいません。
海外では、日本人の私には理解に苦しむお金の使い方をする人に良く出会います。
あまり先のことを深く考えないフィリピン人特有のことなのか、マンギンギスタに訪れた珍しい外国人の私たちをもてなしてくれたのか、素敵な出会いと楽しい時間にお金を払う価値があると感じてくれたのか。
真実は分かりませんが、今までに会ったことのない、粋で魅力的な男だったことには間違いありませんでした。
しばらくして、私たちを乗せた船はマンギンギスタの港をあとにします。
帰りの船の中では、ゆっくりと美しい夕暮れを眺めようと思っていましたが、無邪気で素敵な笑顔をした少女に目を取られ夕暮れを見るのを忘れてしまいました。
底抜けに明るく、計算低く、屈託のない笑顔のフィリピンの人々に以外は特に何もないマンギンギスタの旅は幕を閉じました。
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